ヒヨクノトリ                      



 ヴィグラス基地はその地理上、空輸基地としての意味合いが強く、戦闘機部隊も配備されいるもののその規模は大きくない。だが戦争が始まって、ヴァルチャー隊という脅威が出現した今、最も活躍を望まれているのが戦闘機部隊であった。
 ランティア本土から空中給油を経て応援部隊が駆けつけるものの、本土の空が手薄になってしまうことを考えればそれほど多くの部隊を派遣するわけにもいかない。そうなるとやはり負担は一番近いヴィグラスの部隊に圧し掛かってしまう。レインが梨緒をスカウトしたのも、その辺に事情があるようだ。
 そのレインが父の教え子だと聞いた時には心底驚いた。奔放かつ豪胆で、軽口ばかり叩いているような彼が、あの厳格な父の下で訓練していたとは未だに信じられない。
 女性を見ればくだらないジョークで相手を笑わせ、整備兵相手には下品な話で腹を抱えて笑い転げている。常に上半身は裸で色よく日焼けし、サーファーと見紛うばかりだ。隊長でありながら地上にいる間はとても仕事をしているようには見えない。
 だがセイレーン隊の一員となり、訓練に参加するようになって、梨緒は改めてレインの能力の高さを認めざるをえなかった。
 さすがにあのヴァルチャー1に堂々と立ち向かっていっただけのことはある。だがその彼の力をもってしてもヴァルチャー1とは互角かそれ以下。部隊としての練度を見れば圧倒的にヴァルチャー隊に分があるのだそうだ。
 陸軍、海軍はメルヴィナス島への上陸作戦を開始したものの、戦況は泥沼化、現代では珍しい白兵戦まで繰り広げられているという。梨緒たち戦闘機部隊にとっては、まるで別世界の物語だ。だが空は空でまた違う形の戦争が行われている。死と隣り合わせ──そんな綱渡りの状態は空も地上も同じなのだ。

 梨緒がセイレーン2のコールサインを得てから一週間が経った。部隊に馴染むにはまだ時間が必要だが、悠長なことは言っていられない。
 メルヴィナス島でテージス軍が占有している滑走路を爆撃しようと、本土からやってくる爆撃機部隊を護衛する任にセイレーン隊が当たることになった。エスコートとはいえ、テージス軍機と直接交戦する可能性は非常に高い。それでも梨緒は自ら出撃を志願した。
 給油を終えた爆撃機と共に夜も明けぬうちに八機編隊で空へ上がり、一路メルヴィナスを目指す。更に上空ではAEW(早期警戒機)が待機し、作戦を高高度から管制する。
 下は真っ暗な海。月もない夜空の下では水面で反射する光もなく、何か怪しげなものが蠢いているようだ。かろうじて光る星の明かりだけが、ここが空の上であることを教えてくれている。
『セイレーン1よりセイレーン2、調子はどうだ』
 口の悪いレインだが、これでも新人に対して気を配っているらしい。
「こちらセイレーン2、異常なし」
 梨緒は努めて事務的に答えた。
『引き返すなら今のうちだぞ。基地でオレのベッド人肌に温めてくれよな』
「人肌に温めたナマコでよければぶち込んであげますよ」
『そりゃカンベンだな。よし、セイレーン2、前に出ろ』
「了解」
 梨緒が前衛を努め、部隊は全方位に気を配りながら目的地へ向かう。
 この作戦が成功すればメルヴィナスに駐留するテージスの航空部隊は壊滅、戦局は大きくランティア優位に傾くだろう。
 だがそれだけに、テージス側も神経を尖らせていることは確かだ。向こうも罠を張るくらいのことはしていると思っていたほうがいい。
 その予想はいとも簡単に当たった。
『【オラクル】よりセイレーン隊へ、方位280、距離185、敵編隊を発見。速度120でそちらへ向かっている』
 突如、AEWからの通信が入った。半径数百キロの広範囲にわたって索敵するAEWからの情報をディスプレイに映すと、確かにその方向にIFFに応答のない機影が数機見えている。
『セイレーン1、こちらでも確認した。これより四機で接敵する』
 編隊長であるレインがそれに応答した。
『ヴァルチャー隊ではなさそうだが……まあいいや。梨緒行くぞ、遅れるなよ!』
「了解!」
 旋回し先を行ったレインの後を、梨緒も、そして更に二機が追いかけていく。急速に近づいてくる機影に、梨緒は身体がこわばってくるのを感じていた。
『……ここまで来て戦争の意味とか人を殺すことの罪悪感とか、難しいこと考えるんじゃない。お前がここにいる意味を、それだけを考えろ。お前は何かを守りたくて、ここにいるんだろ?』
 見透かしたような、レインの言葉。腹が立つほどに的を射ていて、かみ締めるほかない。
 HUD上に敵機の姿が見えてきた。
「セイレーン2、エンゲージ」
 酸素マスクにゆっくりと息を吐き、梨緒は落ち着いた声で言った。レインが後方上空で支援態勢に入ってくれている。
 敵機との距離が瞬く間に縮まっていく。射程圏内に入り、ミサイルシーカーが敵機を捕らえ、ロックオンした。
 同時にロックオンアラートが鳴り響く。向こうにも捕捉されたということだ。向かい合った二機、どちらが先に攻撃できるか。
 すぐさま操縦桿のスイッチカバーを開く。発射ボタンを押そうとする親指が、一瞬躊躇した。
『──梨緒!』
 レインの声に弾かれたように発射ボタンを押した時には、コクピットに鳴り響くロックオンアラートはミサイルアラートに変わっていた。
 軽い衝撃の後、機体から分離され、白い煙を吐きながら真っ直ぐに敵機に向かっていくミサイル。その軌跡を見届ける暇もなく、梨緒は操縦桿を倒し、機体を急旋回させた。
 敵のミサイルが真横をすり抜けていく。急激な動きに弱いミサイルは、そのまま空の彼方へ消えていった。
 そして梨緒が放ったミサイルは──頭を回すと、敵機が黒煙を噴いていた。どんどん高度を下げ、ついには爆発、炎上する。
 撃墜したのだ──こみ上がってくる何かの感情を抑えようと必死になる梨緒に、レインの声が届いた。
『その調子でどんどんいけよ。相手がケツ見せたら構わずブチこんでやれ』
 水平線の彼方が、仄白く染まってきていた。夜明けが近い。
「……どうしてもう、そんなに下品なんですかっ!」
 梨緒は怒鳴り返していた。
 感傷に浸る暇はない。いや、浸りたくなかった。

 作戦は無事成功した。
 メルヴィナスの航空基地の格納庫はもちろんのこと、滑走路もランティアの爆撃機による爆弾投下で穴ぼこだらけとなり、もはや使い物とならなくなってしまった。僅かに残ったテージスの戦闘機も、この状態では無用の長物である。
 成功の陰に、護衛として随行したセイレーン隊の活躍があったことは確かだ。迎撃にやってきた敵編隊を撃破、爆撃機を見事守り抜いた。
 梨緒も二機を撃破し、初の戦果を上げた。戦闘機パイロットとしてようやく結果を残せたことをうれしく思いながらも、基地に帰還し機体を降りたその顔はどこか晴れなかった。
 先に降りたレインの姿を見て、梨緒は身構えた。
 今のこの顔を見られたらまた茶化されるに決まっている。複雑な気持ちを抱えたこの状態では、いつもの下卑た言葉をうまく受け流せるか自信がなかった。
「──今日はゆっくり休めよ」
 それだけ言って戻ろうとしたレインに、梨緒は逆に彼を呼び止めてしまった。
「あ、あの……」
「ん? なんだ?」
 声をかけたものの何を言っていいのかわからない。燦々とさすガミューの陽光を浴びて日焼けしたその顔は、梨緒以上の戦果を上げながら全く疲れを見せていなかった。あの後の梨緒といえば、レインのサポートに入るのが精一杯だった。
「親父さんに電話してやれよ。心配してたぞ」
 レインは笑顔さえ浮かべて言った。
 ヘルメットを担いだ彼の背中がいつも以上に大きく見える。歩きかけた足を止め、彼は空を見上げた。
「──戦争は直終わる。こんな戦い、これ以上長くやってられっかよ」
 いつも陽気で、戦争に対してさえ何の感慨もなさそうに見えていたレイン。
 だが──もしかしたら、それは彼の強がりだったのかもしれない。同じ戦闘機乗りを、同じ人間をこの手で殺さなければならない苦悩を、彼もきっと抱えているのだ。






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