私の王子様 〜聖夜の魔女〜     キャラ紹介はコチラ


 有馬記念も終わり、今年の中央開催は全て終了した。今年もなんとか年間リーディング首位の座は守れたようだ。
 各務が調整ルーム内の部屋の荷物をまとめ外に出ると、真っ暗な空から白いものがふわりふわりと落ちてきていた。
 雪だ──一瞬、美浦までの帰路を心配して焦ったが、先週のうちにスタッドレスタイヤに履き替えていたことを思い出し、ホッと胸をなでおろす。
 気を取り直して駐車場へと足を向けた──が、視界に入る怪しい人影。各務ははたと足を止めた。
 闇の中、後輩の早川萌黄が柱の陰に隠れるようにして、向こう側の様子を伺っている。小柄な身体をスノーホワイトのコートに包み、一生懸命柱から首を伸ばしている姿はまるで子供だ。レース中はヘルメットでぐしゃぐしゃになっている栗色の髪も、今は馬の尻尾よろしくまとめられていた。
「早川……そんなとこで何やってるんだ」
「あ、各務さん」
 萌黄は振り返ったが、すぐさま唇に人差し指を当て、こちらに物音を立てるなと指示してきた。常日頃からおかしな動きをする萌黄ではあるが、今日はまた何やら密めいている。
 柱の遠く向こう側には、中山競馬場名物ヒマラヤ杉のクリスマスツリーがそびえ立っている。夜の帳が下りたこの時間、ツリーは降りしきる雪に彩られ眩しく煌いて、クリスマスにふさわしい絢爛さにあふれていた。
 萌黄はそのツリーの下にいる二つの人影を気にしているようだ。目を凝らすと、それはよく知っている人物だった。
「あれは……楢原か? あいつもあんなとこで何……」
 萌黄の同期であり、そして今日の有馬の優勝騎手の楢原だ。
 よく見ようと前に出たからか、萌黄が後ろで一生懸命に身体を引っ張っている。
「各務さん、出てったらダメー」
「ん? 一緒にいるのは……嵩村?」
 楢原と向き合っている黒髪の女は、今年の新人の嵩村藍子だ。
「だから出てっちゃダメですってばぁ」
 力ずくで柱の陰に引きずり込まれて、各務も萌黄と並んで物陰から頭だけを突き出すカタチになった。覗き見とは不本意だが、ただならぬ雰囲気の二人に各務も興味を抑えられない。
「よし、そこだっ、いけっ」
 各務の下で、萌黄は小さな声であの二人に何かをけしかけているようだ。
 身体を硬直させる嵩村。楢原は彼女に寄り添い、頬に手を添えた。
 そして──唇を重ねる二人。
「……あいつら、そういう関係だったのか」
 各務は驚きながら萌黄に聞いた。その萌黄はなぜか「やたっ」と小さく声を上げてガッツポーズをしている。
「各務さん知らなかったんですかー? 美浦じゃ有名な話なのにー」
 そんなことを胸を張って偉そうに言われても、各務はその手の話に自ら頭を突っ込むような真似はしないので、ゴシップネタにはとんと疎い。
 萌黄のなぜか得意げな様子に、各務はピンとくるものがあった。
「……お前、また何かやったのか?」
 萌黄は意外と人の感情の機微に敏感なところがある。とぼけた顔をして人の懐深くにもぐりこみ、話を聞きだすのが萌黄の常套手段だ。
「えへへ、藍ちゃんと楢原くんの恋のキューピッドになったんです」
 あの二人がそういう関係になったのは、やはり萌黄の手腕によるところ、というわけか。
「何がキューピッドだ。魔女のくせに」
「魔女っても色々あるでしょ? 今の私は、シンデレラに魔法をかけた魔女なのですー」
「ふん……シンデレラとはよく言ったもんだ」
 楢原という王子様に見初められた、新人騎手のシンデレラ──この萌黄にしては例えが粋だ。
 萌黄は大きな瞳を輝かせていた。
「いいなぁ……クリスマスツリーの下でちゅー……各務さん私も」
 言うと思った。
 各務は早々に背を向け、さっさと歩き出していた。
「待ってくださいよー。ご飯食べに連れてってくださいー」
 萌黄はそんな各務の背中を追いかけてきた。
「牛丼にたこ焼きにラーメン食ってもまだ食べるのか」
 相変わらず胃の中はブラックホールらしい。どれだけ食べても1グラムも体重の変わらない萌黄の身体は、もはや競馬界の七不思議のひとつに数えられている。
「当たり前じゃないですかー。今日はクリスマスだしー、チキンとケーキは外せないでしょー」
「オレには関係ない」
「じゃあ私の有馬3着入賞お祝いとか?」
「自分の賞金で食べにいけ」
 人気薄の時の萌黄の騎乗といったらまさに「魔法」だ。
 今日もまた最低人気を3着に持ってきて、「芝生の魔女」の力の片鱗を見せ付けた。複勝やワイドや三連単を買った穴党の客にとっては、驚きつつもうれしいクリスマスプレゼントになっただろう。
 駐車場に停めていた愛車の前まで、萌黄はついてきた。今週は自分の車で来なかったと見える。各務の車に乗せてもらおうという魂胆が見え見えだ。
 トランクを開け、荷物を押し込む。ついでに荷物の整理をしていると早い足音が近づいてきて、聞きなれた声が聞こえてきた。
「萌黄!」
「あれ、カズくん」
 柘植和弥の声だ。姿が見えないから馬主あたりにとっくの昔に飲みに連れて行かれたのかと思っていたが……
 和弥はこちらに気付いていないのか、息急きながら萌黄に話しかけた。
「見たか? 楢原と嵩村、うまいこといったみたい……」
「──お前も覗いてたのか」
 車の横から顔を出してやると、和弥の顔がとたんに引きつった。
「げっ! 各務さん……」
 和弥は萌黄に気があるらしいが、そのせいか各務に対してあからさまな敵愾心を抱いている。騎手同士、商売敵としてそれがあるべき姿なのかもしれないが。
 和弥はいったんは怯んだが、すぐに体勢を立て直した。覗き見していたことを悪びれもせず、むしろ各務をニヤニヤと睨みつけてくる。
「お前も……ってことは、各務さんも覗いてたんですか」
 図星を突かれて、各務もまたぐうの音も出なかった。結局は3人とも同じ穴のムジナ、というわけだ。
 トランクをバタンと閉めて、各務はため息を一つついた。
「──行くぞ」
「え? どこに?」
「メシ、食いに行くんだろ。さっさと乗れ」
「わーい」
 和弥があれこれ言う前に、萌黄が声を上げた。
 ここはムジナ同士、食事に行くのが一番平和的だ。
「え? あ? オレも行きます!」
 萌黄は喜色満面でそそくさと車の助手席に乗り込み、各務は憮然として運転席に乗り込む。和弥も慌てたように後部座席に乗り込んできた。
 各務を追いかける萌黄と、萌黄を追いかける和弥。
 決して仲良しというわけではないのだが、なんだかんだでこの3人で行動することが多くなっている。
「早川、お前のおごりだからな」
 運転席でシートベルトを締めながら各務は言った。横の萌黄がキョトンとした顔でこちらを見ているのには呆れる。
「当たり前だろう。この三人の中じゃ、お前が一番上位だからな」
 各務は4着、和弥は賞金がもらえるギリギリの8着だ。こういう場合は一番多く賞金をもらったものがおごるのが常識だろう。
「ま、それもそうだな。寿司寿司、寿司食いに行こうぜ」
 さすがに和弥も異論は唱えなかった。クリスマスに寿司とは風情がないが、今からでは寿司屋くらいしか入れないだろう。
「お寿司でもいいけど、ケーキは絶対食べるからねー」
「寿司とスイーツのはしご? 胸悪くなりそうだな」
 各務は黙って車を出した。雪が降り出したこともあってか、道は比較的空いている。今から都内に出るのはイヤだったので、湾岸のほうに足を向けることにした。
 3人とも同業となれば車中での話題はどうしても競馬、それも反省会ぽくなってしまう。3人すべてが乗ったレースはメインの有馬記念だけだったので、話題は自然と優勝騎手の楢原のことになっていた。
「楢原くん、藍ちゃんにハッパかけられてたんですって。『負けたらムチでしばく』って」
 その話は冗談だとしても、確かに今日の楢原は気合のノリが違った。
 楢原は今年ダービーと有馬を勝ってGI2勝。各務に次ぐリーディング2位の座に躍り出た。プレッシャーに弱い部分もあった彼だが、不遇の時代を経てやっと一流の仲間入り──といったところだろう。
「【芝生の魔女】に対抗して【砂(ダート)の女王様】ってか」
 見た目は子どもで、のらりくらりとしたつかみどころのない萌黄とは対照的に、嵩村藍子は大人っぽい容姿で物事もハッキリ言うタイプらしい。「女王様」と和弥が評するのも何となくわかる。
 5年前に関西の女性騎手が引退してから、去年まで中央の女性騎手は萌黄一人だった。なので嵩村が競馬学校に入学してきたと聞いたときは、萌黄は大層喜んでいた。
 ただでさえ辛い競馬学校生活。男子でも落第する者がいる中、嵩村が無事卒業しデビューまでこぎつけることができたのは、もちろん彼女自身の努力が実を結んだからであろうが、萌黄が女性騎手としてのある程度の道筋をつけてくれたから──という意見も少なからずある。それほどまでにこの世界での女性に対する風当たりは強いのだ。
 そういう苦労を知っているからこそ、萌黄も嵩村のことを随分と気にかけているし、嵩村も萌黄を慕い、教えを請うことも多々だ。まさかこの萌黄が後輩に競馬を教える日が来ようとは……妙に感慨深くなってしまう。
「やっぱり、クリスマスはこうじゃなくっちゃねー」
「あ、そうだ」
 急に後ろの和弥がガサゴソとカバンをあさり始めた。
「萌黄、これ。メリークリスマス」
 座席の間から和弥が差し出したのは、赤いリボンをかけられた細長い箱だった。
「カズくんありがとうー」
 萌黄は受け取ると、そそくさと包みを開き出した。
「わぁ……」
 中から出てきたのは、馬の蹄鉄をモチーフにしたシルバーのネックレスだった。馬の蹄鉄は幸福を呼ぶという言い伝えがあるのだ。
「お前に似合うと思ってさ」
 和弥は何処か得意げだ。
「ありがと。私からもプレゼントあるんだよー」
 そう言って萌黄もバッグを開けた。
「はい、カズくんにー」
 取り出したのはこれまた小さな箱。礼を言って受け取った和弥が開けてみると、それは馬のモチーフのついたタイピンだった。
「おおサンキュ」
 和弥もコンスタントに成績を上げており、二世騎手ということもあってテレビのバラエティにでることもちょくちょくある。
 萌黄、和弥、そして楢原。同期のこの三人が今の競馬界を盛り上げていると言っても過言ではない。
 和弥からのプレゼントをバッグにしまって、萌黄は各務に顔を向けた。
「各務さんにももちろんありますよー。プレゼントはワ・タ・シ」
「いらん」
 毎年のお約束を繰り広げてから、萌黄は笑ってプレゼントを取り出した。
「各務さん、メリークリスマス」
 そう言って差し出されても、ハンドルを握っている今受け取るわけにも行かない。
「開けてあげますねー」
 各務が困惑している間に、萌黄は平べったい包みを開け始めた。
「お、おい……」
「じゃーん」
 中の箱から取り出したのは、黒の革手袋。そのデザインに各務は見覚えがあった。
「お前……それ……」
「えへへ……ドイツから取り寄せて見ましたー」
 それはドイツの有名グローブメーカーの、乗馬用手袋だった。日本では売ってなく、ドイツから取り寄せるしかない代物だ。
「各務さん、この間この手袋のこと話してたでしょ?」
 確かに、一ヶ月ほど前に誰かとこのメーカーについて話していたことはある。デザイン性、耐久性がよく、使用感もいいことから欧米の騎手の間で流行しているらしい、と。それをこの萌黄に聞かれていたとは。
「ここに各務さんのイニシャルも入れてもらったんですよー」
 萌黄が指差した甲の部分に、「Y.K」とイニシャルが刺繍されている。
「各務さん、使ってくださいね」
「……あ、ああ……」
 各務の歯切れの悪い返事も気にすることなく、萌黄は手袋を箱にしまい始めた。
「萌黄、どうせ毎年各務さんからは大したもの返してもらえてないんだろ? もうあげるのやめちゃえよ」
 和弥はイヤミっぽく言ったが、萌黄はどこ吹く風だ。
 萌黄にプレゼントをもらっても、各務は誤解されることを恐れて後に残らない食べ物、それもハムとかスイーツ詰合せとか、どう見てもお歳暮のついでに頼んだとしか思えないものばかり返していた。
 それでも萌黄は大喜びでもらったものをあっという間に完食し、下宿先の主で元騎手のシゲさんをあきれさせている。
「そんなことないよー。各務さんの贈ってくれるものは全部おいしいですよー」
 イヤミでなく本気でそう思っているあたりが、萌黄のバカなところだ。そんなことを言っているうちに手にしていたリボンを床に落としてしまった。
「ありゃりゃー……汚れちゃったかな」
 頭を下げて拾い上げる。案の定、頭を上げるときに後頭部をダッシュボードに強打した。
「いったーい」
「バカだなー、何やってんだよ」
 その拍子にダッシュボードのふたが開いてしまった。頭をさすりながらふたを閉めようとした萌黄は、その中に奇妙な箱が入っていることに気付いた。
「なんだろ……これ」
「お、おい……勝手に出すな!」
 各務は止めたが、時既に遅し。萌黄が引っ張り出したその箱に、萌黄もそして和弥も見覚えがあった。
「これって……これと同じ?」
 包みかけだった、各務へのプレゼント。黒の革手袋が入ったその箱とまったく同じ箱だったのだ。
「各務さん……もしかして、手袋もう買っちゃってました?」
「いや……その……」
 珍しくしどろもどろになってる各務に業を煮やしたのか、和弥が萌黄の手から謎の箱をひったくった。
「同じもの持ってるならハッキリそう言えばいいのに……感じ悪いですよ」
「あ、待て! 和弥、開けるな!」
 しかし和弥はさっさと開けてしまっていた。萌黄のためにハッキリさせてやろうという気持ちだったのかもしれない。
「……あれ?」
 思っていたものと違うものが出てきて、和弥は声を上げた。
「白……しかもこのデザイン……レディース?」
 色が違うどころではない。デザインもサイズも明らかに違う女物の革手袋。
「は……はは……各務さん、どこの女子アナにプレゼントするつもりで……あっ!」
 和弥はとうとう気付いてしまった。
 白の革手袋の甲の部分、金字の刺繍で「M.H」と記されている。
「M.H……まさか……早川……萌黄?」
「私へのプレゼント!?」
 萌黄は再び和弥の手から手袋をひったくった。ためつすがめつ手袋を眺め、そして各務の顔を見比べる。
 いつも緩んでいる顔が、これ以上ないくらいに輝きを増して明るくなった。バカっぽい犬のような満面の笑みで見つめてくるものだから、各務は苦りきった表情で頷いた。
「あああありがとうございますー! すっごくうれしい……」
 萌黄は手袋に頬ずりをして、そして恐る恐る手に嵌めてみた。
「……言っておくが、それはクリスマスプレゼントじゃなくて今までの分のお返しだからな」
「クリスマスプレゼントじゃないって……じゃあなんで今日用意してるんだよ。言い訳がましいっつーの」
 後ろで和弥が小声でブツクサ言ってるのにもお構いなしだ。手を握ったり開いたりして感触を確かめている。
「これ、すごくいいー。イニシャルまで入れてくれて……」
「サービスでやってたからついでにいれてもらっただけだ」
 努めて無愛想に言ったが、もちろんこれごときで怯むような萌黄ではない。挙句、萌黄はニコニコしながらこちらを見つめてきた。
「各務さん、お揃いですねー」
 各務はガックリとうなだれた。不用意に漏らした一言がこんな結果を招いてしまうとは……
「……ありがとうございます。大事に使いますね」
 そう言って萌黄は穏やかに微笑んだ。
 初めて会ったころから8年──26歳になった今も相変わらずバカでガキっぽい萌黄だが、時折こうやって大人っぽい表情を見せるようになった。
 デビューから8年──今はもう、萌黄が女であることのハンデを口にするものはいない。
 類まれなる才能と想像を絶する努力で、女性騎手として初めて中央の重賞に騎乗し、今やGIの常連だ。
 誰もが不可能だと思っていたことを、この女はやってのけたのだ
 【芝生の魔女】の通り名を与えられ、ワケのわからない魔法を使って度々番狂わせを起こす萌黄は、一人前の騎手として立派に成長した。
 魔女が見せてくれる数々の魔法をみな期待している。
『ダービージョッキーになりたい』と萌黄が語ったあの夢は、今はもうただの夢物語ではない。それどころか、ダービージョッキーになることをもっとも期待されている騎手であろう。
 クリスマスプレゼントに手袋を贈ったことに深い意味はない。食べ物のバリエーションがつき、シゲさんにも「ケチケチすんな」と苦言を呈されていたので、仕方なく今年は物にしてやろうと思ったまでの事。たまたまこの手袋の話を聞きつけ、話題に上ったので取り寄せてみただけだ。
 萌黄はまだ手袋を脱がずに、うっとりとした表情で手袋を眺めている。
 各務からのプレゼントを萌黄が喜ばないはずはないのだが、それでもこうやって目の前で喜んでもらえるとこちらとしてもうれしいことに変わりはない。
「各務さん、オレにもプレゼントくださいよ」
 悔し紛れなのか、和弥は後部座席でふんぞり返っている。
 今日はクリスマス。車を走らせていても、道路沿いの街路樹はイルミネーションに彩られ、街全体が宝石箱のように煌き瞬いている。
 横の助手席には、輝かんばかりの笑顔を振りまいている萌黄。明日以降のことを考えると頭が痛くなってくるが……
 ──まあ、いいか。
 各務は小さくため息をついて、アクセルを踏み込んだ。萌黄には見えない反対側の頬を少しだけ歪ませていたことは、誰も気付いていないだろう。


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