星降る聖夜に、サンタが降ってきた

 街灯のない真っ暗な農道で、薫はただひたすらに自転車を漕いでいた。
 住宅地の灯りが遥か遠くに見える。周囲に広がるのは、稲刈りの終わった田んぼのみ。
 寒い、暗い、怖い──ただでさえ憂鬱な気分が、更に滅入るようだ。早く家に帰りたい。
 頬を切りつけるような寒風に顔を背け、速度を上げようとハンドルを握る手に力を込めた瞬間──
 ズトンッという鈍い音。
 驚いて急ブレーキを掛けて顔を上げると、数メートル先の田んぼにそれは突き刺さっていた。
 豪奢な木ソリ、立派な角を持ったトナカイ、そして赤と白の目立つ衣装に身を包んだヒト。
 豪華三点セットが一丸となって、田んぼの土にめり込んでいる。
「え? サンタ?」
 にわかには信じられない。
 しかしながら、ジタバタともがいている動物はどう見ても本物のトナカイだし、木ソリは本でしか見たことがないような立派な作りだ。
 本物? 偽者? 業者?
 自転車を降り、恐る恐る近づく。
 不意に──サンタの衣装を身に纏った人間が、土に埋もれていた頭を持ち上げた。
「おい、姉ちゃん」
 えらくドスのきいた声。
 薫を振り返ったその顔は、白髭の老人というには程遠い、眼光鋭い中年男だった。
「このバカトナカイとソリ引っ張り出すの、手伝ってくれや」
 その目つきといい物言いといい、どう見てもヤクザだ。
 今すぐにでも逃げ出したいが、ヤクザサンタの懐から物騒なものが出てきそうでもっと怖い。仕方なく薫は田んぼに降りた。

 薫とヤクザサンタ、二人は力をあわせて田んぼからトナカイとソリを引っ張り出した。
 奇跡的に両者とも無傷で、主人同様に目つきの悪いトナカイは礼のつもりか薫に向かってブルンと一鳴きした。
「姉ちゃん、すまんかったなぁ。このバカが空の上で居眠りしやがってよぉ。お前のせいだぞ、コラ」
 サンタが乱暴に角を掴んだが、トナカイは負けじとサンタに噛み付こうと歯を鳴らしている。
 あっけにとられて何も言えない薫に、サンタの鋭い視線が向けられた。
「あ? なんだその目は?」
 紅白の衣装より、黒スーツが似合いそうな風貌。背筋が寒くなる。
「その目は……サンタクロースだって信じてねぇだろ。え?」
 はいともいいえとも言えず、目を泳がすことしかできない。
 よほど挙動不審だったのだろう。ヤクザサンタが白い歯を見せて大笑いした。
「俺ぁ、ギックリ腰で寝こんじまった爺さんサンタの代理だ。一応本物だぜ?」
 そう言ってサンタは傍らに落ちていた大きな布袋を持ち上げた。
「おおそうだ。姉ちゃんにはなんか礼しねぇとな。何がいい?」
 サンタは袋に手を突っ込み、中を探り始めた。子供達が望むプレゼントが出てくる魔法の袋なのだろうが、どうにも別なものが出てきそうで怖い。
「いっ、いえ……何もいりません!」
「まあまあ、そう言うなって」
 サンタはニヤニヤしながら袋の中を漁っている。
「拳銃も日本刀も覚醒剤もいりませんから! 変なモノ出さないで!」
 薫は逃げようと後ずさりしたが、サンタが意気揚々と声を上げた。
「よっしゃ、これだ!」
 抜き出した手に握られていた物──それは赤と白、二つの小さなお守り。
「ん? なんじゃこりゃ?」
 取り出した本人も想定外の代物だったらしい。お守りを見て苦笑いしている。
「またえらくショボいモン出しちまったなぁ……やっぱ修行が足りねぇなぁ」
 そう言ってサンタは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「すまねぇな、姉ちゃん」
 このサンタ、怖そうなナリをしているが、性根は優しい人間なのかもしれない。
 薫は拍子抜けするのと同時に可笑しくなってしまった。
 プッと軽く噴出すと、ヤクザサンタの手から二つのお守りを奪い取った。
「合格お守りと……恋愛成就? 今の私にピッタリだわ」
「なんだ姉ちゃん、受験生ってヤツか?」
「まあね」
 年が明ければすぐにセンター試験。イブの今日だって、こんな時間まで図書館でひたすら勉強していたのだ。
「恋愛成就ってことは、片思いの男でもいるんか」
「いないわよ。十日前に彼氏にフラれたばかり」
 さっぱりとした物言いとは裏腹に、本当はまだ傷心を引きずっている。
 けれどバツ悪そうなサンタの顔を見ていたら、不思議と救われたような気持ちになった。
「大学に合格して、そこでいい男見つけろって、そういうことかな」
「そうに違いねぇ」
 薫とサンタ、闇夜の田んぼに二人。
 互いの笑い声が、澄んだ星空に溶けていく。
 こんなに笑ったのは、久しぶりだ。
 ずっとモヤモヤしていた気持ちも一緒に溶けていった、そんな気がした。

 ヤクザサンタはまた夜空へ向けて飛んでいった。
 その後姿を見送って土手を上がる。自転車に乗ろうとして、薫はふとお守りをもう一度取り出した。
「どこの神社のかな……」
 合格祈願と書かれたお守りの裏を返す。



 聖ニコラウス……神社?



「……テメェはキリスト教徒じゃないんかワレェ! ボケェ! 落とし前つけろやゴルァッ!」




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